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zoom RSS 夏真っ盛りのお盆〜人それぞれの<終戦>

<<   作成日時 : 2005/08/14 09:40   >>

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■あらためて“命”の大切さを感じる時です。
先日、私の田舎である兵庫県但馬方面に、家族で旅行に出かけました。
今年4月、市町村合併により誕生して間もない「香美町」です。
道路などの整備が進み、あまりの地域の変わり様にびっくり。
沿道の道の駅で販売されている懐かしい地場の産品に
知らず知らず目が留まります。
中でも、この地域を流れる矢田川沿いに新しく移転・整備された
美しい佇まいの酒蔵(香住鶴)が印象的でした。

山の斜面のあちこちにある墓所は、
お盆を控え、きれいに草も刈られ手入れがされていました。
すでに亡くなった祖父や祖母たちなど私の先祖が祭られている墓所(村岡)には、
通過する車窓から、心の中で手を合わせ、
今、元気に生きている感謝の気持ちを、子どもたちとともに捧げました。

■終戦後に生を受けた私にとって、
当時のことは、先人の語りや報道、書物、写真等によってしか、
知るすべがありません。
以前にもご紹介しましたが、わが父、母から聞いた終戦当時の思い出です。

勤労青年として戦闘機のプロペラを作る軍需工場(尼崎)で働いていた父(当時20歳)。
お盆を控えて、田舎(兵庫県村岡)に一時帰省をしていたとき、
勤務地の尼崎が空襲になる。
もし、帰省していなければ、死んでいたかもしれないと。
終戦の言葉は、海軍将校であるで工場長を先頭に、
工場で働いていた人たちとともに聞いたとのこと。
作業中にプロペラが落ちてきて足首に怪我をした傷跡を
ズボンの裾をあげて私に見せながら、語ってくれました。

すでに女学校(豊中)を卒業していた母(当時18歳)は、
疎開のために家族とともに田舎(同上)に帰郷し、そこで終戦を迎えた。
田舎でも、食料には大変困っていたとのこと。
食料に困らなかったのは、一部のお百姓さんだけ。
衣類などと交換で食料を分けてもらっていたとのこと。
その田舎で聞いた終戦の言葉。
  なんだってぇ、日本が負けたあ〜??
  日本は負けるはずなんか、ありゃせんがな。
  どういうことだぁ〜え???
というのが、その時のまわりの反応だったそうです。

■今年は、戦後60年ということもあり、
例年以上に終戦関連の報道が取り上げられています。
戦争体験者にとっては、その年齢から考えると、
もはや「戦後70年」はないとも言えます。
そんな今年には、ことのほか節目の意味があります。

「戦争のリアリティを伝えること 
 戦争の美化を受けつけないマインドを育てること」
「悲惨な戦争体験とともに、
 他国とも共有しあえるきちっとした歴史認識を受け継いでいくこと」

こんな言葉を心に刻みながら、
明日の終戦記念日を家族とともに、そして働く仲間とともに迎えたいと思います。

*兵庫県・香美町 <美しい山・川・海 人が躍動する 交流と共生のまち>
 http://www.town.mikata-kami.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=AM040000

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