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zoom RSS 新しい発見の旅の一コマ

<<   作成日時 : 2009/09/13 08:40   >>

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画像「橋」の話題」について
今夏、徳島を訪れた。折しも台風の影響で激しい雨の中、眉山山上にあるモラエス館に足を運んだ。それがきっかけで、「モラエス」という人物を知り、そして一冊の本に出会った。

■「モラエス」〜人物紹介から。
「1854年にポルトガルの港町リスボンに生まれる。海軍学校を卒業後、ポルトガル海軍士官として奉職。1889年に初来日。マカオ港務局副司令を経て、外交官となる。1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任、のち総領事となり、1913年まで勤める。モラエスは1902年から1913年まで、ポルト市の著名な新聞「コメルシオ・ド・ポルト(ポルト商業新聞)」に当時の日本の政治外交から文芸まで細かく紹介しており、それが次々に集録されて「Cartas do Japão(日本通信)」という6冊に本に納められている。
 神戸在勤中に芸者おヨネ(本名は福本ヨネ)と出会い、ともに暮らすようになる。1912年にヨネが死没すると、13年に職を辞し引退。ヨネの故郷である徳島市に移住した。ヨネの姪である斎藤コハルと暮らすが、コハルにも先立たれる。徳島での生活は必ずしも楽ではなく、スパイの嫌疑をかけられたり、「西洋乞食」とさげすまれることもあったという。1929年、徳島市で孤独の内に没した。」  [Wikipediaより]

■本書は、1889(M22)年、モラエスが「美しい国」日本の長崎港に到着するところから始まる。
その時も、激しい雨だったようだ。

 「激しい雨がひとしきり続いた。
  貨客船ペルギ−号はその雨に辟易したかのように速度を落とし、霧笛を鳴らしながら進んでいた。・・・・」 

 また本書は、モラエスの人物を知るということの他に、異国の人の目線から見た、明治30年代の日本、日本人の様子を伺い知ることができ、とても興味深い。

○日本は外交的にはまだまだ幼児というべきだろうな。相手を敵か味方のどっちかに決めてしまわないと気が済まないらしい。政府がそうだから、国民もそうなる。
○日本人はひどく短気なところがある。その短期にうっかり乗せられると損をする。なにごとによらずねばることだ。
○日本には料亭政治という言葉がある。招待されていい気分になり、いい加減な返事をするとあとでたいへんなことになるかもしれない。日本料亭に招かれたら、必ずその裏があると思え。
○日本は宗教に対しては寛容な国です。この神戸にも山手を歩けば、寺と神社がたくさんあります。この日本の汎神論的な宗教観は日本の芸術にも流れ込んでいる。日本人が何事にも積極的で明るく、視野が広いのは古来からの千万の神への信仰思想から来るものではないかとも思われる。

■歴史的には、大日本帝国憲法(M22公布)のもと立憲政治を展開し始めた日本が、日露戦争への道へと進みつつある時代である。
「日本軍人の中には、三国干渉の盟主であるロシアを相手に戦争をやろうなどと本気で考えている者もいるようだ。日本人は調子に乗り出すと、想像も出きないようなことをやる、へんな国民だ。」

 大阪の川口にあるフランス領事館 大阪砲兵工廠 交渉の相手は日本陸軍・・・などの記述から、戦時に入りつつある大阪の状況も伺える。
 明治36年、大阪で開催された勧業博覧会には、自国ポルトガルの貿易商の協力を得て、ポルトガル産品を出品(コルク、葡萄酒、缶詰、オリ−ブ油)したと紹介されている。

 1902(M35)年、日本が日英同盟をむすんだ時、モラエスは、ポルトガルの新聞の「日本通信」で、「日英同盟」と題して、仏露同盟に対して成立したものであることを指摘したうえで、当時の日本についてこう記している。

  「わずか30年たらずでその神秘的な孤立から近代文明にのしあがることができ、
   かつ、すでに今日では大国として重んじられかけている国民が、
   その地位と、積極的な繁栄をめざして進むべき正しい道を、明白に理解しているのを信じようではないか。」 

■本書のタイトル「孤愁」について。
新田次郎は、彼を「孤愁(サウダ−デ)の人」だという。また、サウダ−デとは、「ポルトガル人だけが持つ民族的心情」ともいう。

「モラエスは、弧愁の海を泳いでいた。泳いで行けばやがて彼岸に達することは間違いないし、弧愁の海を泳ぐこと自体がポルトガル人として生れた宿命だとも思っていた。行き詰まると彼は原点にもどった。」

「感傷でしょうね。しかしポルトガル的に言えばやっぱりサウダ−デになるのでしょうか。私がパリで同棲していたポルトガル人の女性をしばしば思い出すのもサウダ−デですし、今ここであなたと別れたとすれば、またひとつのそれが増えるわけです。こうして、数多くのサウダ−デの中に埋まって私は生きているのです。」(ある老人の言葉)

■「ポルトガル語で作品を著したモラエスは、英語を用いたラフカディオ・ハ−ン(小泉八雲)ほど知られてはないが、  観察眼の確かさや深さに於いては、ハ−ンに優るとも劣らない。」と、藤原正彦氏は、彼を評している。
 そんな、日本をこよなく愛した異邦人がいたことを、今回の旅で知った。
 訪れた徳島・眉山は、話題となった映画やテレビドラマのロケ地でもある。

 徳島・眉山にある「小さくても世界唯一のモラエス博物館」
 新しい発見ができた旅の一コマであった。


[参考]
○モラエス館のパンフレット(阿波おどり会館/眉山ロ−プウェイ/モラエス館)、絵葉書
○新田次郎全集 〈第6巻〉完結版 孤愁(サウダ−デ)の解説冊子
   藤原正彦による「父の訪れたポルトガルW」
○Wikipedia

■ポルトガル語に関連して
・「たんとカステラ召し上がれ」 たんと=ポルトガル語のタント(tanto)=多くの
・唐辛子 ピリピリ ← ポルトガル語  piripiri 
・ポルトガル語 コルティッサcortica → 英語:コ−クcork ドイツ語:kork ポルトガル全土にコルクの森(園)




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