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zoom RSS 子どもたちへの「贈物」/自らの心のあり様を確かめる「鏡」

<<   作成日時 : 2009/12/19 08:36   >>

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画像■昨夜来から強い北風が吹きつけ、季節がさらに一歩進んだ感じです。
街にはクリスマスソングが流れ、夜になればイルミネ−ションが輝き、ぐっとくる寒さの中にも、何か温かいものを感じつつ過ごす年の瀬。
そんな中で・・・

「読書習慣を早く身につけることが重要だという意見には異論はない。だが、学校ぐるみで「朝の読書運動」が展開されているなんて聞くと、ちょっと待てよと思う。
 ん十年も前の子ども時代を振り返っても、大人たちから「本を読め」と言われれば言われるほど、読書と言うのが魅力のないものに思えた。」

 こんな書き出しの記事を、そうそうと思いながら読んだのがきっかけで手にしました。心理学者の河合 隼雄さんと、 詩人の長田 弘さんの対談集で、一冊、一冊の絵本や児童書ついての洞察もさることながら、絵本や児童書の本が、子どもたちだけのものか?という視点で語られていて、まさしく大人に絵本や児童書の深さ、魅力、素晴らしさを再発見させてくれます。
 ちょうど今放送されているラジオ番組「大人のためのイギリス文学」とも相通じるものがあり、興味深く読み進みました。

■印象に残ったコメントから・・・
○子どもの本は・・・ 
・人間の心の働きを、すごくすっぱり書いている ものすごくパワ−を持っている。 
・原型をぱっと目の前に差し出す。
・魂の現実がストレ−トに書いてある。
 (大人の文学は、下手をするとゴテゴテうるさくて、この世の現実ばかり書いている。) 

○二つの“ツンドク” 読みたいけど読んでないツンドク/読んでからツンドク
“ツンドク”のなかに豊かなものがある。
子どものときに読まなかった子どもの本が、記憶のなかにいっぱい残ってる。だけど、そうやって記憶のなかにツンドク(積ん読)だけで読まなかった子どもの本というのを、大人が自分のなかにどれだけ持っているかが、じつはその大人の器量を決めるんじゃないかなあ。

○日常その本がそこに見えていて、本のイメ−ジがず−っと自分のなかに残ってゆく。
 見えないところにいれたら終わり。 装丁、タイトル、さし絵、人物や物の名前、言葉のリズム、そういうもの全部が、子どもの本では意味をもっている。

○本を寝かせておく。書棚に入れておく。しなかったもの、しそこなったもの、つい忘れてそれっきりのもの、そういうもののなかには、じつは、自分で気づいていない豊かなものがいっぱいあるんだってことを忘れたくない。読んでいない本、読まない本が圧倒的なのが当たり前。
読んでいない本、知らない本がいっぱいある図書館が、いい図書館。

○「読みなさい」ではなく「こんなん読まな損やで、こんなおもしろい本」。
 要約しろっていう読み方 →読書をつまんなくしている。
 好きなところを暗礁するほうがずっといい。子どもが薦める本がすごい。

○絵本を読むというのは3つから成り立っている。
 →絵本を求めること、見ること読むこと、その後ずっと取っておくこと。 「親が求めて子どもに贈る贈物」 

○日常の意識のどこかにふっと穴をあけるのが絵本の世界。しかし、その穴をくぐり抜けていくには、ほんとうは見えない穴を見つけないといけない。つまり、読む側がそこに自分の想像力を足していって、絵本の世界に自分から入り込んでいんないといけない。

○永遠より長い一瞬の世界が絵本の世界。記憶というのは人のなかに鮮やかに残る一瞬。
 →いい絵本がいい記憶をのこす。どんな絵本でも、テ−マは時間

○絵本は、読むとしたら簡単に速くさっさと読めてしまうけれど、実は何度も何度も物語を作りなおして読むことができるように、それだけのうんと長い時間を蓄えている。
いい絵本のなかにあるのは、永遠よりも長い一瞬。

○絵本の世界は、読むことで自分の物語をつくっていく。一度目に読んだ時と、二度目に読んだときとでは、きっと微妙に違ってくる。リサイクルして、リサイクルして、その絵本の世界が自分のなかにつくられていく。

○絵本は「詩」に近い。絵本によって残るものは、絵画や音楽によってのこるものにずっと近い。
 絵本は、物として大事なものというよりは、記憶として大事なもの。
 取っておくといっても、絵本そのものを取っておくのではなく、その絵本の記憶を取っておく。

○なぜ子どもの本が読まれなくなったか。本のある光景が日常になくなっている。
子どもの本は、読まなくてはいけない本というより、目に入るところにある本であればと思う。

○コミュニティをささえていく、なくてはならないものとして、子どもの本の世界が人びとの日常のなかに棹さしている。

■「子どもの本に語られる「真実」は、人間のたましいに直接作用してくるように感じられる。」
あとがきで、川合氏がふれておられますが、そのとおりだと思います。
子どものためとか、大人のためとかの区分ではなく、まさしく人間にとって大切な、きらりと光るメッセ−ジが、こどもの本には込められているのでしょう。
もちろん読む人、読む時、それぞれに応じて、その光るものは違ってみえるかもしれませんが・・・。

ある意味、子どもの本は、大人が子どもたちに贈る「贈物」であると同時に、自らの心のあり様を確かめるための「鏡」なのではないでしょうか。

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