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zoom RSS 歴史ってなんだ?

<<   作成日時 : 2010/10/24 21:35   >>

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画像歴史を学ぶことの意味は何か?
瑣末な年代や重箱をつつくような細かな出来事を覚える、いわゆる暗記科目ではないということを教えてくれる一冊。

カナダの歴史家であり、外交官として戦後日本に着任し日本研究者でもあったE.H.ノーマン(1909‐1957)の随想集である。

まずは、タイトルのクリオとは?
クリオとは、ギリシア神話に出てくる女神(ミュ−ズ)の一人で、歴史を司る女神である。ミュ−ズのなかではいちばん内気で、その顔は時にほんの一部しか現わされないとのこと。氏によれば、日本の歴史を語る上では、ギリシア人が創造したクレオではなく、東洋・日本のクレオを思い浮かべるべきだとして、奈良中宮寺の弥勒菩薩を挙げている。まさしく日本文化への造詣の深さを感じさせる。

少し長くなるが、歴史に関する氏の見識・見解の一端を辿ってみよう。

○歴史は決して一直線でも、単純な因果の方程式でも、正の邪に対する勝利でも、暗から光への必然の進歩でもなかった。それよりも歴史は、すべての糸があらゆる他の糸と何かの意味で結びついているつぎ目のない織物の糸に似ている。 ちょっと触れただけで、この繊細に織られた網目をうっかり破ってしまうかもしれないという恐れがあるからこそ、真の歴史家は仕事にかかろうとする際にいたく心をなやますのである。

○歴史は誰もが知っているように、はなはだとらえがたいものである。そして逆説めいて聞こえるが、おそらく最もむずかしいのは現代史の解釈であろう。現代の諸事件の記録者はその光景のあまりに間近にいるものだから、後になるとおのれの想像の生んだ妖怪に驚いたことがいかにも馬鹿げて見えるし、自分の眼の前になにかの異常な事件が姿を現しているのにこれが見えなかったとなれば、自分の観察力、批判力を疑われることにもなる。

○将来の進歩は長く遠まわりな道程をたどってはじめてもたらされると信ずることが自由に最もよく奉仕するみちである。歴史の上の近道はたいてい事実上は行き止まりであった。(略)なかんずく、政治上の新しい事態を、決まり文句や符牒によってではなく、たえず移り変わる社会のなかでそれがどのような影響をもつかを測定することによって、検討する国民こそ、自由と正義に最もよく奉仕するのである。

こういう性格をもった国民ならば、その立法や代表者をして、民主的な制度の威信を落としてばかりいる空虚な常套語や不注意な公約をもてあそぶのではなく、現実の事態および必要に少なくともある程度即した言葉をいやでも語らせることになるであろう。 

○クリオは、大変内気で謙虚でありながら、きわめて仕えにくい主人でもある。しかも彼女は気取り屋である。彼女は、煽動的な新聞やデマゴ−グがまきちらす劣悪な通貨である常套語や符牒に理解力を曇らさないきわめて平凡な市民にも、また、人間の作った制度はいずれも普遍なものでなく社会全般および他の制度にとって相対的なものであって、たえまない歴史の大きな運動そのものの一部として、微妙に変化し変質するものであると見ることを学んだ学徒にも、ひとしく彼女の愛らしく物思わしげな顔を現すであろう。

○歴史は過去の人びとの行動を系統的に研究する学問である。歴史の人類に対する関係は、記憶の個人に対する関係と同じである。それは自分の国の、また自分の住む町の起源、あるいは自分の職業の起源をさえ、知りたいという世界共通の要求に応えるものであり、全世界が親近感で結ばれるために必要な教訓を提供するものであり、あらゆる複雑性と矛盾と片意地とを備えた人間を取り扱うため、自然科学ほど割り切った学問ではないが、それだけに想像力に訴えることの多い学問である。

○過去のなかには冷たい死んだ事実がある。そしてこれを探ることこそ歴史の究極の目的であると信じる歴史家があった。(略)このような態度は子供の心に折角芽生えた歴史に対する興味をすっかり簡単に抹殺してしまうだけでなく、それは歴史の本質を傷つける態度である。(略)ただ煉瓦をむやみに積みあげても家ができあがらないと同様に、事実に関する知識をやたらに並べても歴史はできあがらない。歴史とは本来関連した事実を選び出して、その相互関係を評価することである。

歴史家の仕事は写真屋の仕事よりはむしろ画家のそれと似ている。すなわち歴史家は与えられた歴史上の問題のなかから顕著な特色を選び出して、これを配列し強調しなければならないのであって、目についたものを手当たり次第に並べたててはならないのである。

一本の樹という印象を伝えるためには、その葉を数え、枝の長さを計り、つぎにこれを引き抜いて目方を量ってみたところで、得るところはない。すぐれた画家ならば、ただ二、三度筆を動かすだけで、その葉の印象を伝えることがしばしばある。同様に歴史で大切なのは全体の輪郭と肝要な細部である。避けなければならないことは、無関係な事実を積み上げて、身動きもできないものにしてしまうことである。

○歴史という学問は、過去において人びとがどのような生活をしていたか、どういう制度を創り出したか、そしてどのようにその生活様式および制度が変化したかをたずねる学問である。歴史家とは事物が変化するものであることを認めて、しかるのちに、その変化の理由をたずねる人。

○歴史の道は滅多に平坦なことはないし、またおそらく絶対にまっすぐなこともないものである。そしてその発展は突然にも不条理にも現れるものではない。また戦争や革命のような現象は、過去に照らして眺めることなしには、これを説明することはできない。

したがって歴史のまことは現実的な価値の一つは、現在に光を投ずるために、過去を考察し、研究することのなかに見出されるべきものである。人は自国民がうけついだ遺産を、そしてその遺産が他国民のそれとどうしてこのようにちがうのかを知っていないかぎり、他国民の考えや習慣や感情はおろか、自国民のそれさえも理解することができないのである。

○われわれはなにか幻想的な歴史の審判のようなものを求めるよりはむしろ、歴史学者のあいだでたえずたえず闘わされる意見の衝突の方を歓迎しようではないか。というのはその方が書き遺された歴史に豊かで深い内容を与える態度であるからである。われわれは遠い昔の出来事に関して、絶対確実な知識を得ることは認めないけれども、いろいろ違った見方と取り組むことによって、その主要な内容に関するいっそう深い知識を把握することができるものである。(略)

われわれはいろいろ違った歴史学説を満遍なく調べ、深く考え、たえずさぐることによって、かたよらない、そしておそらく結局のところ賢明でさえある見解に到達することができるのである。意見の衝突から真理が生まれる、という諺は古代ギリシア人の遺した、そしてソクラテスが好んでもちいた諺である。

○歴史の研究は多くの人びとにとって、休息であり、喜びであり、娯しみでありうるとともに、それは結局最も教化力の大きな習慣であると私は確信する。人間はもし歴史をもたなかったなら、動物と大差のない生活を送らなければならないであろう。

歴史はわれわれに過去に向かって旅をして、過ぎ去った人びとの生活を精神的に共有することを許すものであるが、もっと重要なことは、それによってわれわれが全人類と平和的協同的に生活ができるようになるということである。歴史はどんな教訓にもまして、われわれを寛容に、人間的に、そしておそらく賢明にさえするものである。

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外国の外交官の目線で日本を見るといえば、戦前イギリスの大使館員として、戦後は極東委員会イギリス代表として、日本滞在30年にも及んだS.J.サンソムの著書「世界史における日本」(岩波新書)が思い浮かぶ。大学時代に手にしているが、今一度読み直してみたくなった。

要するに、過去を知り、未来を生きる知恵を引き出すこと、それが歴史を学ぶ意味である。
それを理解する者には、きっと女神クリオが微笑んでくれることだろう。

 *「世界史読書案内」津野出興一 岩波ジュニア新書

クリオの顔―歴史随想集 (岩波文庫)
岩波書店
E.H. ノーマン

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