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zoom RSS 東日本大地震に思う〜もう一度読みたい宮沢賢治〜

<<   作成日時 : 2011/03/21 12:13   >>

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画像宮沢賢治記念館を訪ねて・・・」について
このたびの東日本大地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
かつて阪神淡路大震災を経験した大阪・関西ではありますが、
それとは異なる惨状に心が痛む日が続いています。

ちょうど一年前、東北・岩手県を訪れたこともあり、TVから流れる映像に言葉を失っています。そんな中、ある新聞のコラムに目が止まりました。

「震災で大きな被害を受けた岩手県は、宮沢賢治が生まれ暮らした土地でもある。賢治の思想の結晶の一つとされる名作「グスコ−ブドリの伝記」は、一人の若者が自らを犠牲にして人々の命の糧を守る話だ。きびしい冷害で飢餓が迫る中、火山島を噴火させて気候を暖かくする計画が立てられる。だが、仕掛けのために島へ渡った者のうち最後の一人は島から逃げられない。若いブドリがその役を買って出る。・・・・福島第一原発で続く必死の作業に、はからずも思い浮かんだ。・・・」

ここで紹介されている「グスコ−ブドリの伝記」は、賢治の数少ない生前発表童話の一つです。
あるイ−ハト−ブの大きな森の中に生まれた主人公グスコ−ブドリ。冷害による飢饉で一家離散ののち森一帯を買収した資本家の経営するてぐす工場で働きますが、火山噴火による降灰の被害で工場は閉鎖。続いて山師的な農家の赤ひげのもとに住み込み、農作業の手伝いと勉強に励みます。その後、興味を持っていたクーボー大博士の学校で試問を受けイーハトーブ火山局への就職を紹介されます。火山局では着実に技術と地位を向上させていき数々の業務に携わり、ひとかどの技師になっていきます。27歳の時、冷害の再発を目の当たりにして苦悩するブドリ。その末に出した決意とは・・・。

手元にある宮沢賢治記念館のパンフレットには、「宮沢賢治の生きた時代明治29年〜昭和8年は、戦争が多く、地震や津波、凶作や不景気などで不幸に悲しむ人が多かった。」と書かれています。作品の中では地震の場面が何度も出てきます。まさしく今回の惨状がつながります。
また火山の地熱を利用した発電所がイ−ハト−ブの海岸に沿って200も配置されたとありますが、海岸沿いに立地する今日の原発を予言していたかのようです。電気で人工的に肥料を降らせるとか、今日の地球温暖化にもつながる言及は、科学や環境、宇宙にも造詣の深かった賢治ならではでしょう。

「今はただ、犠牲によって大勢が幸せになる賢治の物語とは、異なる結末を切に願う。必ずや家族のもとへ、全員無事に帰ってほしい。」
こう結ぶコラムと同じ思いをTV報道に重ねる日々。
この地から「世界ぜんたいのまことの幸福」を願った宮沢賢治。
一日も早くこの地に安堵の光りが見えることを祈りたいものです。

  *朝日新聞「天声人語」2011.3/18付
  *Wkipedia「グスコ−ブドリの伝記」の項



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