戦後60年に思う、没後40年<信時潔>

■どんな人物だったのか、どんな作曲家だったのか、
これまであまり知る機会もなかったのですが、このほど下記書物に出会い、
加えて氏が大阪生まれだと知り、少し身近な存在として感じるようになりました。
★ 評伝「信時潔」 構想社 新保祐司
没後40年、戦後60年ということも重なって、今少し話題になっているようです。私にとっては、合唱組曲「沙羅」(清水重道作詞)が印象に残っています。もともと歌曲ですが、故福永陽一郎により混声合唱組曲として編曲されたものです。
(合唱曲としては木下保編曲によるものもあるようですが・・・)
丹沢/あずまや/北秋の/沙羅/鴉/行々子/占ふと/ゆめ
かつて使った楽譜には、第2曲「あずまや」長唄、浄瑠璃もどきの古典的な発音で、
第5曲「鴉」狂言風にといった書き込みがされています。
そのほかには、学生時代に少し口ずさんだことのある
♪あかがりふむな あとなるこ
われもめわあり さきなるこ ・・・
といった日本古謡(神楽)を用いた合唱曲が思い出されるぐらいでしょうか。
■「丸坊主の髪が少々伸び ゴマ塩に、太目の八の字の黒々した眉。
和服を着て、ピアノの前にすわって大きな体をカメラに向かって右に向け、
両手を両膝の上にがっしりと置いた姿勢で写っている。
楽譜が山積みになっているピアノがなければ西洋音楽を学んだ作曲家とは思えない。」
裸電球に照らされたこんな氏のワンショットが、表紙写真として取り上げられています。
明治初年的異形 精神史的な音楽家 剛毅朴訥 明治の男
古武士が戦後の時空間に出現 サムライ・クリスチャン父・吉岡弘毅(大阪北教会牧師)の息子
熱心な信徒・信時義政(元和歌山藩士)の養子
・・・氏のプロフィ-ルの一端です。
■氏の代表曲の一つ「海ゆかば」。ちょうど盧溝橋事件に始まり、日本が中国・南京を陥落させた年、S12(1937)信時50歳の作品。戦争末期、日本軍が敗退し、玉砕を重ねたとき、それを報じるラジオから流れていた曲。私にとっては、映画やテレビドラマでの出来事でしかありませんが・・・。
本書では、この鎮痛深刻な音楽について、かなり立ち入った考察がされており、そんな中で、いくつか興味深い言及がされています。
・勇ましいだけの軍歌とは違う鄙びたる軍楽
賛美歌のようにひびいた(作家・阪田寛夫)→近代音楽のコラ-ル 宗教楽
近代日本の歴史の内奥から湧き出でた、歴史を鎮魂する鎮魂曲(レクイエム)
・歌詞に万葉集(大伴家持)が使われていることについて、
牧師の息子である氏にとっては「大君」を「神」に変えさえすればよい
・モダニズムの旗頭としての山田耕筰と対峙させながら、
「音楽は、野の花の如く、衣装をまとわずに、
自然に、素直に、偽りのないことが中心となり、
しかも健康さを保たなければならない。」
として“音楽に心を開く”ことの大切さを説く古典主義的な剛健質美の氏の音楽論
などなど・・・
■その一方で、この曲を聞くと「やめてくれ!」と叫びたくなる戦争体験のある方がおられるのも
事実です。
戦後60年という節目に当たり、日本の歩んできた歴史とともに、氏の精神的、芸術的な歩みについて、今こそ冷静に振り返って見ることが必要ではないか、そんなことを考えさせられた一書です。
(Amazon書評への書き込みに加筆)




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